月ヶ瀬健康茶園株式会社

奈良県月ヶ瀬

月ヶ瀬健康茶園の歴史を教えてください。

農家としては私で17代目となります。古くは一般的な野菜や穀物を作っていたのではないかと思います。明治の頃、養蚕(桑畑)をやりながらお茶を少しずつ作り始めたと聞いています。養蚕は昭和20年代まで行われており、それ以降からはお茶作りが主となりました。お茶農家としては私で5代目ということになります。

1984年、両親が販路を探していたところ、奈良県内のある消費者グループと出会います。それを機に無農薬無化学肥料栽培を開始し「月ヶ瀬健康茶園」という屋号になりました。そこでは食品の安全性や身体に与える影響などを熱心に勉強しており、両親も毎週のように通うことになりました。そのうち「食」が人間の身体に及ぼす影響力の重要性に気付き、ある日突然、我が家の食卓にも玄米や酸っぱいパンが並ぶようになったのを覚えています。そして2001年に有機JAS法が施行されたと同時に、当園のすべての茶園で有機JAS認証を取得しました。

就農されたきっかけを教えてください。

大学卒業後は身体に良い食品を世の中に広めたいという想いから、有機食品を扱う会社に就職しました。
働くなかで、「生産物を、消費者にお届けするまでの大切さ」を教わりました。

当時は家業を継ぐということは考えていませんでしたが、会社の産地視察で訪れたイギリスで飲んだ紅茶がきっかけで、「紅茶を作りたい!!」と思うようになりました。
その味は今でもはっきりと覚えていますが、のどごしの良さと香りが今まで感じたことがない感覚でした。
入社してから4年で退職、家業に加わることにし、同時に紅茶の製造も開始し、自分の世界を広げていきたいと決めました。2001年のことです。

現在と昔でお茶の消費のされ方に対して何か感じることはありますか?

社会や環境、人間の生活習慣など、いろいろな要素と深く関わりながら食卓も変化していきます。
お茶も例外ではなく、急須からティーバッグ、そしてペットボトルへと変わってきました。そしてお茶の味に対してのニーズも変わってきたように感じます。
ひと昔前はアミノ酸などから感じとれる「うまみ」が注目されていましたが、最近の特に若い方たちは「スッキリ」とした味わいを好まれているように思います。
その「スッキリ」感は主にミネラル成分から感じられる部分で、今私たちが作っているお茶がまさにその点のニーズに合ってきたのでは、と考えています。

2011年、それまで投入していた動物由来の肥料を辞めて、近隣で育った草木を茶園に還しながら、自然本来の力を活かした栽培方法に切り替えました。そうすることでミネラルを多く含むお茶が作れてきているのと同時に、お茶も自然の産物なんだと実感できるようになりました。
それは私たちのお茶畑が周囲の山々や木々と同じ色になってきたということからわかります。

お茶の飲み方も「煎じる」「煮出す」「湯冷ましをする」という風に、50年ごとに飲み方も変わってきているといわれています。
そういう意味では私たちも私たちの考え方をもって「栽培・製茶・飲み方」をセットにした新たなスタイルの提案をみなさんにお伝えしていきたいです。

耕作放棄地を活かして、畑をどんどん増やされていますが、そこにどのような想いがありますか?

耕作放棄地は、これまでジャングルのような茶園の再生を3.9ha(19圃場)、改植して新たに播種した場所が1.5ha(8圃場)、あと採草地3ha(15圃場)などの方法で活用を進めてきました。

月ヶ瀬は中山間地で、しかも異なる年代の地質の境目もあるため、地質、そして土質・傾斜度・形状・広さなど、異なる立地条件の耕作放棄地が点在しています。前所有者は栽培条件などが不利になってきたという理由から辞められた場所になりますが、いろいろな自然環境下で、いろいろなお茶を少しずつ作っていくという観点から考えると、私たちにとってはとても良い条件で恵まれた場所だということと考えています。

それぞれの放棄地ごとに、植える品種の選定やどんなお茶畑にしようかなどを探索しながら、みなさんにどうやって飲んでいただこうかと、いろいろ想像しながらワクワクして進めています。

最後に消費者のみなさんへお伝えしたいことはありますか?

当園では、有機栽培や自然栽培で、奈良・月ヶ瀬の自然のリズムに合わせて茶の木が育つよう意識したお茶づくりをしています。農薬や化学肥料を使わないということを、ポジティブに考えると、自然やその土地の特徴を活かしたお茶が育つということになります。

当園では、そのように育てたお茶を、煎茶やほうじ茶、紅茶に製茶してお届けさせて頂きます。
奈良の自然やその年の天候の具合なども、お茶の味を通してお伝えしてまいります。
そうやってみなさんと共に歩んでいければと考えております。

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