陸の孤島で、究極の自然栽培
収穫次第発送12月中旬~1月上旬予定
【海抜71m】本土最南端の森の恵み “ぽんかん”

本土最南端に広がる、秘密の森
辺塚だいだいでご紹介した吉田さんが本土最南端の秘境で織りなす“ぽんかん”は、自然の息吹が豊かな森に実っている。彼が幼少期から夢見ていた「海の近くに住みたい」という思いを叶えるために訪れた辺塚地区との出会いが、その後の運命を変えた。前所有者の高齢化により引き継いだ八朔の樹々は、推定樹齢40~50年。まるで絵画の一部のように、自然と同化している姿がとても美しく感じた。

澄んだ秋晴れの訪問当日、柑橘の森からは小鳥のさえずりと風の音が二重奏となり、穏やかに心の扉をノックした。そして、そっと見上げるとどこまでも伸びる樹々の枝が、その姿を自慢するかのように広がっているのがとても印象的だった。剪定すらしない彼の柑橘を口にした一流の料理人たちは、「土の味がする」と言うらしい。それだけ、自然に限りなく近いというあらわれだろうか。ただその反面、樹々に手を加えないことは、生産効率が悪くなることを意味している。なぜなら、樹形が大きく高くなり過ぎることで、収穫にはハシゴが必須だからだ。今後、自然の樹形を大切にするかそれとも生産効率化を重視するかの判断が迫れる日が来るのだろうと感じた。
植生豊かな亜熱帯気候の北限
和歌山県、愛媛県、静岡県。
これは、柑橘の出荷量が多い県を示している。共通しているのが、その気候が温暖であるということだ。吉田さんが自然の恵みを採取する地区は、亜熱帯気候の最北とされている場所。そのように考えると、柑橘が伸び伸びと成長する意味も理解できる。樹々の肌艶を見ていると、いかにその気候や風土に適しているのが一目で理解できた。”栽培”という言葉がかすむほど、自然の調和で宿った柑橘としか思えなかった。
集落には、おばあちゃんが2人だけ。
吉田さんの畑がある集落には、ご年配の方が2人だけ住んでいるという。周りは壮大な自然に囲まれた風景のため、深呼吸したくなるような解放感がある反面、不便な暮らしと隣り合わせなのはすぐわかった。病院、学校、商店街も何もないのだから。
「わたしが柑橘畑を譲ってもらったように、他の方が移住された時に、わたしも同様のことをしたいと思っています。そのために、畑をもっと増やしたいと考えています。」
吉田さんの横顔からは、へき地での苦労よりも、無限の自由を得た喜びの方が大きいようだ。
Iターンと農業の両立
Iターンと農業の成功例などをメディアを通じて、知る機会がある。わたしが全国各地に赴く中でも、生まれ育った町、普段生活する場所を離れて、見知らぬ土地で新たな第一歩を踏み出す方々と会う機会がある。一見、自由と希望を抱くその姿に賛美を送りたい心情になるが、現実はそう甘くないのが世の常。住む場所探しだけでなく、ライフラインの確保、病院・学校・スーパーなどが生活圏内もしくは確保できる距離内に存在するのか?などなど、のどかな情景美とは裏腹に、”暮らす”ということにはリアルな現実が横たわっているのも確かだ。

ましてや、自然が相手の農業と両立させることは、至難の業であると言って過言ではない。畑や田んぼを探すにも、日当たり、作業効率、水はけが悪いなど三重苦のような場所しか残っていないケースが往々にしてある。農業のイロハの習得や土壌の改良に3~5年が必要なことを考えると、想定以上に多くの経済的な余力と精神的な支えが必要であるのだ。さん・らいふが応援している農家には、このようなステージにある方々も多いため、いつも何で協力できるのかを見極めることに時間を費やしている。


思い出の余韻に浸りながら胸いっぱいに帰路についた後、吉田さんから一通のメールが届いた。
「長居をさせてしまったことで、中村さんの次の予定に支障が出たのではないかと心配していました」
彼の優しさは、きっとこの地域の存続を支える存在になると確信した瞬間だった。本土最南端で自然の楽園に夢描く彼を、小さな応援団としてお手伝いしたいと強く思った。

陸の孤島で、石に願いを
余談だが、吉田さんが暮らす辺塚地区には、経塚(きょうずか)が存在する。それは、川原や海辺にある小石に、お経の文字を一文字ずつ刻んで土中に埋めること。仏教的な作善行為の一つのだが、この地域の歴史、地理、風土などさまざまな要因が織り重なることで根付いた風習なのだろう。
「願いは、行動によって示される」
未来への希望を込めた彼のタイムカプセルは、どこまでも続く水平線へと想いの橋を架けている。

旅の途中:鹿児島県肝属郡南大隅町佐多辺塚
写真/文 太郎社長(中村太郎)
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