50数年以上、3世代で守り続ける愛の物語
【海抜25m】 朴訥(ぼくとつ)にして高潔な無農薬の林檎“紅玉”

皮ごと食べられる、ほんもの印のりんご。
日本海に面し、 南は世界自然遺産の白神山地に抱かれし町、青森県鰺ヶ沢。日本海に注ぎ込む清流が豊かな海産物の恵みをもたらすこの地は、江戸時代には津軽藩の海の玄関口として、京都や大阪からの船が往来した文化の交流地。
その場所で、三世代にわたり実直に林檎を守り続ける神さんご家族。互いに少し緊張気味の初対面だったが、とても丁寧に作業場、農園へと説明しながら彼らのいとなみを説明してくれた。
なぜ、無農薬の林檎はこれほど希少なのか。
林檎は、無農薬による減収率が90%を超える農作物と言われている。減収率とは、農薬や肥料を使わないなどの原因によって、本来収穫できるはずの量からどれだけ収穫量が減ったかを表す指標。水稲35%、大豆28%と比べても、その差は歴然である。事実、高温多湿で病害虫の多い日本では、林檎栽培には最低限の薬剤散布が必要とされており、農業県である青森においても、化学農薬や化学肥料を使用しない林檎農家はごく僅かだ。その希少な挑戦を、半世紀以上に渡り続けてきた神さん一家のご苦労は、言葉には言い表せない。

家族の死が、すべてのはじまり。
さん・らいふでお付き合いがある有機、無農薬で林檎栽培と向き合う農家は、何名かいる。ただ、全国探しまわっても、片手ほどの人数しかいないことだろう。率直に言って、それほど難しいのだ。神さんがその挑戦を辞めない理由は、初代の神辰雄さんが向き合った現実だった。当時、辰雄さんの姉と妹が、原因不明の病でこの世を去った。その悲しみの果てに気づいたのは、農薬がその死の原因だったのではないか!?そして、その事実を受けとめ、1971年から化学的な資材にたよらない栽培へと大きく舵を切った。
またそれは同時に、周囲の心無い視線との戦いの始まりでもあった。同調圧力と己の信念の狭間で、誰より愛した姉と妹の面影を思いながら、”正義の苦難”を選んだのだった。

新規に田畑を開墾・管理する際、わたしが旅の途中で出会う農家からは、最初の3~5年は思うように収穫ができないことを聞くことが多い。それは、辰雄さんも同様だったようだ。田畑の生態系がし少しずつ変化するには、相応の時間が必要なのだろう。
「自分がやらなければ」と必死に唇を嚙みながら、引き売りした300ケースの林檎を受け入れてくれたのは都内の消費者団体。言葉にならない安堵と嬉しさで、心を繋いだのは言うまでもないだろう。それまでの苦労が実を結んだその収穫の頃には、4回目の冬を迎えていた。見た目の美しさよりも本当の安心を選んだことは、神さん一家のこれからを運命づける大きな一歩となった。
強い志は、人としての。
わたしが訪問した当日、辰雄さん亡き後を継いだ長男の茂芳さんとその次女夫婦が温かく出迎えてくれた。穏やかな印象から発する誠実な一言一言に耳を傾けながら、彼らが何を大切にしているのかが分かった気がした。それは、コツコツと積み重ねた50数年の歳月を経たいま、30余りの品種を一切の妥協を許さずに樹々と向き合う姿は、神さんご一家の強い覚悟そのもの。そして、自然と向き合う日々の中で、己の心を整える姿がそこにあるように感じた。人としての誠実さや限りある時間(人生)を落ち着き歩む歩幅。

わたしたちは、生かされている。
日本海にほど近い鰺ヶ沢の冬は、想像する以上の厳しさだろう。半世紀のもの間、自然と一体になりながら、遠く消費地で心待ちにする生活者の暮らしに寄り添う林檎を届ける彼らの姿に、胸が熱くなる。何気ない日常風景の中で、知らず知らずのうちに、そっとわたしたちは農家のひた向きな努力によって支えられているのだとあらためて気づかされる。
いつもありがとう。

旅の途中/青森県鰺ヶ沢
文/太郎社長(中村太郎)
- 名称
- 紅玉
- 内容量
- 3kg(約11個)
- 特定原材料等
- りんご
- こちらの商品は産地直送クール便でお届けします。

生産者: 若葉農園
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